趣味も仕事もうっかりミスばかり、ADHD判定という名の免罪符が欲しいと常日頃願っています、朝からポテチです。
みなさんはうっかりミスってしたことあります???
私はあります。
前置きはさておき、このブログで語るのは、最近話題の(2022.05.20)町役場4360万円誤送金問題についてです。ついこの前まで誤送金した自治体担当者の責任が叫ばれたかと思えば、どうやら蓋を開けてみると自治体の人件費削減が誘発したものだったりしています。うっかりミスでは済まない額とはいえ、果たしてその送金作業を行った本人にだけミスの責任があるのでしょうか。
誤送金された4360万円を使い倒した側の法的責任や倫理観には特段触れませんが、果たしてミスは責められるべきなのか、私なりの言葉をここに残しておきたいと思います。
閑話休題。
- 結論:うっかりミスは起きる。
- ヒューマンエラーとは
- エラーの分類学
- 不注意のメカニズム
- ヒューマンエラーしやすい人
- ヒューマンエラーを100%無くすことは不可能
- ヒューマンエラーは作業者のミスだけではない
- 公平も公正
- 失敗を減らすのではなく、成功を増やす
- 人のミスを責めない社会に
ここで私、ふとある本の存在を思い出しました。
【うっかりミスはなぜ起きる】芳賀茂
以前読んだ本の感想メモが残ってました。ありがたいですね。本書に記載されているうっかりミスの分析やその対策について紹介すると共に、今話題の誤送金問題をどう捉え、どう判断するか、どう教訓に結びつけていけばいいのかを語ります。
結論:うっかりミスは起きる。
結論から述べるブログって信頼できますよね。
うっかりミス、つまりヒューマンエラーは統計的に必然的に起きるようです。
本書では「なぜうっかりミスが起きるか」その現象を細かくカテゴライズした後、後半では「どうしたらミスを起こさないか」よりも、ミスをなるべく少なくすることを踏まえつつ、「成功を増やすための主体的な意識を削がないようなマニュアル、人間工学的システムづくり、ノンテクニカルスキルによるしなやかな現場作りが必要」と述べているんです。なるほどな?
順を追って解説していきます。
ヒューマンエラーとは
システム(多数の構成要素が有機的な秩序を持ち同一の目的に向かって機能するもの)によって定義された許容限界を超える人間行動の集合
- エラー=悪ではない
- 人間の作業精度は正規分布する(少なからず存在する)
- その許容範囲をシステム(基準)が決める
- うっかりミスをした人を処罰しても何もならない
- みんなで間違えるとそれは寛容(慣用)となる
- (あらたし→あたらし、情緒、端緒、撹乱、独擅場、喧々諤々)
なるほどなるほど、まず、人間がここまではセーフ、ここからはアウトという基準を決める。それを逸脱した行動がミス、エラーと定義されるんですね。
「ミスをするな!」という思考がそもそも「ミスっている」と。また、同じミスでも、多数が間違えれば、それは正しいとさえ捉えられるようです。
エラーの分類学
ヒューマンエラーにもいくつか種類があり、うっかり、勘違い、ど忘れ、見のがし、不注意、ミス、ドジ、失念、過誤などが挙げられます。
人間の情報処理プロセスのエラー
- 入力エラー(認知、確認のミス)
- 媒介エラー(判断ミス)
- 出力エラー(失敗、こぼすなど)
ミスの2つの典型
- うっかり何かをし忘れる:記憶型エラー
- うっかり何かをしてしまう:行動型エラー
エラーの心理的背景5つ
- 判断の甘さ:〜だと思っていた
- 習慣的操作:つい反射的に
- 注意遅れ:熱中していて、気づかず
- 思い込み:確認不足、
- 情報収集の誤り:予測や先入観
なるほど、確かに思い当たる節がいくつかあります。いや、思い当たる節しかない。まず入力エラー、つまり確認ミス。〜だと思っていた(判断の甘さ)、出力エラー、最近職場のPCにお湯をこぼして、修理だとか始末書でてんやわんやなので、グサグサ刺さる。しんどい。
不注意のメカニズム
ヒューマンエラーはシステム、機械部品の技術の進歩に対して人間の進化の遅れのギャップが大きくなったことによるメカニズムだという。
例えば、忘年会では、注意を向けた情報にだけぱっと反応することがある。(カクテルパーティ現象)
これは、感覚器官はまず情報の物理的特性(声の質や音)を聞き取るが、言葉の意味や複雑な認識は「選択的注意」というフィルターやスイッチのようなものが働くからだという。
不注意とは常に、注意に伴って現れる
これまた名言である。どういうことか。
プロ野球選手は、注意の一点集中の状態といえる。(夜間のライトをイメージ)何かに注意を向ければそれ以外には注意が向けられなくなる→この時、不注意とは常に、注意に伴って現れる のだという。いわゆる歩きスマホもこの事例にあたる。歩きスマホ、まじで気をつけないとですよね。
ハインリッヒの法則という有名な事象はご存知でしょうか。
事故ひとつに三百回のうっかりミス、つまりヒヤリハット案件があるということです。この時の教訓を次に活かすには、トップダウンではなく、話しあいで自律的に意識させるプロセス→安全報告制度(インシデントレポートシステム)が有効でしょう。
ヒューマンエラーしやすい人
事故を起こす人は必ず一定数現れる(ボアソン分布)これには性格的な問題や仕事への向き不向きとは関係ないそうです。
ただ、事故反復者の持つ事故傾性(年齢や作業への熟練度、体格や体力は含まれない)は大きく影響しているそうです。事故傾性は大きく3つに分類されます。
- 情緒不安定性
- 自己中心性
- 衝動性
思いあたる言葉ばかりで胸がチクチクします。この事故傾性が大きい人にはいくつか当てはまる特徴があるようです。
- 運動機能が知覚機能を上回っている人に事故は多い
(体が勝手に〜動き出すんだ〜)(伝われ)
- 作業にムラが大きい
内田クレペリン検査って聞いた事ありません?免許適正試験を受けた時にやる、隣の数字を足し合わせるやつです。大人になってから久しくやると、あれめっちゃ疲れますよね。あれの結果にムラが大きい人、ミスが多い人、私です。はやくはやくと急ぎ足で思いっきりミスします。
- 誤りに強い、弱い人
自分のミス、他人のミスに寛容かどうかで人は4分類に分けられます。
- 自分と他人に寛容:おっちょこちょい/クリエイティブ型
- 自分のミスに厳しく、他人に寛容:じっくりぼんやり型
- 自分にも他人のミスにも厳しい:ていねい、ねちねち型
- 自分もミスするのに他人にも厳しい:てきぱきうるさい
これはどれも思い当たる人がいますね、絶対いますね。むしろ血液型なんかよりよっぽどその人の人間性を的確に表しています。理想は2のじっくりぼんやり型、最悪なのは4のてきぱいうるさい型ですね。自分はどのタイプか、ちょっと考えてみてください。もちろん自分もあなたも誰かから必ず評価されているわけで、それが全て喜ばしい評価だとは限りません。もし自分に思い当たる節があれば、TPOにあわせて意図的に変える努力をしてみる、というのもいいでしょう。
ヒューマンエラーを100%無くすことは不可能
本書の一番言いたいことははつまりこういうことです。この本を手に取った人には、少なからず「自分は人一倍ミスをしてしまう」という悩みがあったはずです。私自身、この本には「どうしたらミスをなくせるのか」の解決策を求めて本書を手に取りました。
しかし、本書は「仕組み、システムレベルでエラーが起因する事故を防止する対策が有効」と言うのです。具体的には
エラーしにくいデザイン、JIS規格、人間工学
カラーコーディング、シェイプコーディング、フールプルーフ(誰でも使える、ヒューマンエラーの無害化、手順の標準化安全設計、環境の改善、インターフェースの改良)
他にも、訓練、動機づけ、意欲の高揚、単調さの排除、必要十分な情報の提供(その場の指示だけでなく全体の工程を伝える)などなどがあげられます。どれも大事ですね。特に「必要十分な情報の提供」、これホント大事なんですよね。特にアルバイトや派遣、日雇いの作業でめちゃくちゃ思いました。下手くそなんですよね、指示が。確かに毎日違う人に同じ説明を何度もするので、当人はめんどくさいことこの上ないでしょうが、単調な作業であればあるほど、全体の概要が把握出来ないために意欲が生まれないことはよくあることです。大きな企業の組織の中で自分が行っていることが小さすぎて全体が把握出来ないときもこんな気分になります。自分の今行っている仕事、作成している資料がいつだれがどう使うために必要なのかくらいは知っておかないと、仕事の意味ってもんがわからないですよね。もっというと、件の補助金の件も、大袈裟にいえば、なんのお金をどこの誰に何のために上げるのかが分からないまま、ただ与えられた支払い作業だけを続けていたのでは、できる作業もできないってことです。
ヒューマンエラーは作業者のミスだけではない
現場と管理側の人間のコミニュケーションがどれだけ大事かを本章では力説しています。
例えば罰則やルールによるマニュアルの増加、無駄な作業の手間が増えることによる意識の低下は、効率の悪さと新たなエラーを引き起こす悪循環に繋がります。
例えば、ミスを防ぐ為にと必要以上に事細かく定時報告資料を作成する義務が新たに発生すると、本来必要な労力・注意エネルギー・時間分配をその報告資料に充てなければならなくなります。本末転倒というやつです。
エラーをしなければよいのか?
否。エラーや事故は、努力から生まれる副産物であると筆者は提唱します。
むしろ、現場のトラブルによる事態の変動を、人間が持つ柔軟なバネにより対応することで、システムを安全に動かしているとも取れます。現場の柔軟性。シン・ゴジラを観たか?臨機応変さこそ、人がミスをする所以でもあり、人の強みでもあります。
公平も公正
公平ってのは、結果の平等さのみを表します。片や公正とは、Just=正しさを意味します。どちらが大事なのでしょうか。
例えば「エラーした人全員には処罰をする」と周知したら、どうなるでしょう。
答えは「誰もエラーを報告しなくなる」です。なぜなら報告された人だけ処罰を受けるのは不公正だからです。これではミスは減らないどころか、なぜミスが起きているのか、そもそもミスはどこで起きているのか、把握すらできません。
また、「どうして事故が起きたのか、どうしたら起きなかっのか」を必要以上に議論する事故の振り返りの結果論も、後知恵バイアスと言って、次の反省に活かされることのない、必要のない議論です。
失敗を減らすのではなく、成功を増やす
「じゃあミスを減らすにはどうしたらいいんだよ」という訴えに対して筆者は、「失敗を減らすなではなく、成功を増やす=レジリエンス・エンジニアリング」という思考の転換を提案します。
レジリエンス:柔軟さ、対応力。直訳すると、「しなやかな強さを構築する技法」です。この概念を前提としたシステムの構築には、2パターンのセーフティ(対応策)が存在するとされています。
セーフティ1:「なるべく失敗を少なくする」ことを目指す従来通りのネガティブな考え
これは受動的な安全管理を主としていて、事故の原因を失敗や機能不全だと定義しています。対応策も後追いの原因究明、非効率的なマニュアル作りに留まり、結局生産性・効率の悪さに拍車がかかるため、現場がマニュアルを守らない、ミスは繰り返される、といった悪循環を招くものです。
セーフティ2:成功の数を多くしていく、というポジティブな考え
この手法は、ミスは統計的に産まれるもの、調査はあくまで上手くいかないことの説明基礎であり、「通常時には、どのようにしてうまくいっているのか」を理解するための材料としています。人間はシステムの柔軟性に必要不可欠なため、最低限のマニュアルは遵守しつつ、現場の裁量の余地を残す、という手法です。
この概念が産む好循環として、
- しなやかさを持つ良い現場力
- 主体的にマニュアルを守っている
- 自発的に安全品質の必要な行動を取れる
- 上からの指示無しで、社会的使命を果たすために必要な判断と行動ができる(災害時)
といった特徴があげられます。
一見すると「失敗を避けること」と「成功を目指す」ことは同じに見えますが、決して同じではありません。
リスクを避けるというアプローチは、ベクトルが常に「失敗」あるいは「リスク」に向いています。一方で安全にするというアプローチは、ベクトルが「成功」あるいは「安全」に向いています。
人のミスを責めない社会に
というわけで本の中身を借りて紹介する形で議論を進めてきました。長々と5k文字ほど語りましたが、つまりは人のミスをその人のせいにした所で、事態は何も変わらないということです。むしろそのミスの指摘は自らの首を締めます。なぜならミスとは、その人自身の意思で起きたものではないからです。ミス(=ヒューマンエラー)を起こすような環境やシステムを少しずつアップデートすること、そして何よりミスばかりしてしまう私たちの思考のミス(間違った責め方)を少しずつアップデートしていくことが何より必要なのだと思います。
件の補助金誤送金についても同じことが言えます。マスコミの余計な原因究明、外部への形式的な謝罪会見、全て無意味です。もちろんマスメディアに前倣えで無責任な発言をSNSの海に流す暇人も同様です。ましてや町村に電話をかける人は一体なんの不履行を被ったのでしょうか。手の届かない正義感、怒りの矛先をひたすら探して怒りを消費しては脳内のドーパミンを充たす行為はドラッグルーティンそのものです。麻薬中毒と言えます。現場がその準備と対応する時間とお金でさえ税金が発生しています。対応する職員は通常業務が滞っています。その損害は4630万円なんてちっぽけなお金では賄えないでしょう。ミスの原因究明はいい加減辞めましょう。まるで炎上や事件の度に価値観の概念がアップデートされていくようなこの感覚は、むしろどんどん人を不自由に不幸に縛っているのだとさえ思えます。ヘーゲルが提唱したアウフヘーベン(止揚)を良いように解釈して対立を煽る昨今のマスゴミの仕事は、まるで煙が立てばそこが火事だと騒ぎ立てて自らの懐を潤すためのお金稼ぎのソレとしか思えません。マスコミがほんとうに広めるべきなのはその後の対応策と現場環境の改善、アップデート事例だと考えます。
まぁ、このブログでさえ私というエラーが生み出した私の思考の澱そのものなんですけどね!!!
(うっかりミスのブログで誤字脱字・文法ミスがいっぱいあってごめんなさい)
おわり。