朝からポテチです
Run Girls, Run!のオタクです。
舞台「誰かも知らない」
Uzumeという劇団の第7回公演。
2022年に恵比寿にできたばかりのシアターアルファ東京という小劇場での舞台。きっかけは応援している声優ユニットRun Girls, Run!に所属する、はやまること林鼓子の出演。他の演者さんは分からないも、ペナルティのヒデさんが出演とのこと。
あらすじ
事前情報は「募金箱に1万円入れてみたんです。そしたら未来が変わったんです。未来が見える少女の物語。」
…わからん!!!未来が見えることによる世界線の分岐や収束といった物語…だろうか。人間模様を描きつつ、SF(少し不思議な)チックなお話なのかも。といった予想。
自分は4/16(土)昼公演のチケットを購入。
もちろん指名は林鼓子。舞台ではこんな風に、目当ての演者を指名することで、演者のノルマに貢献したり、ノルマ以上の集客があればそのリターンが演者にギャラとして入ってくるとか、そういう制度があるらしい。今回のギャラがどういう仕組みなのか、どのくらいなのかは全然わかんないが、なんかまぁ推しに貢献できるなら嬉しい。(後述するが、この思考こそか本公演テーマの「誰かも知らない人への募金/目の前の人を助けるお金」と同じ畑の話しだと思うなど。)
当日
当日、まさかの緊急でお仕事。残念。その日は元々i☆Risのツアー初日三郷公演も予定されていた。元々はツアーに行く予定はなかったが、直前になって(月曜くらい?)当日のチケットをフォロワーから譲ってもらってウキウキだったのだが、なんとキャストが陽性のためツアー初日は延期に。残念。とはいえ舞台だけでも行くつもりだったので、仕事で行けなくなり余計に残念。今年の推し活は自分への投資とバランスを考えて続けようと思ってたので、4/15(金)の配信も自分の決意表明のためと思い、意を決して買わないでいた。
結局観た
ブログっていいな〜!!!!!!!!!
の気持ち!!!!!!!!!!!!!!!!
ネタバレもそこそこ控えめで、
これから配信見る自分にとってめちゃめちゃ助かるブログでしたhttps://t.co/VfxOe4bSvz
フォロワーの感想ブログが面白くて、秒で配信チケ(3k)を買った。1週間、舞台に通った人の感想はぽつぽつ流れてきていたので読んでいた。考えさせられる、深い、双子ちゃんの日替わり要素、ヒデさんのアドリブ、など。
配信を観た感想について、本テーマと各キャラが背負うサブテーマに分けて語りたい。何話したとしても絶対自分語りを避けられない、感想全てに自分の今の立場、主観が入らずにはいられないあたり、この舞台を観て、感想を語る人は須らく傍観者ではなく、当事者であることを意識させられました。
募金と偽善
誰かも知らない人を助けるということ
本舞台のタイトル回収。「誰かも知らない。」
この言葉、主語述語がなくて引っかかりますよね。なるほど、「誰かも知らない人」という、形容詞だったんですね。そう言われるまで気づきませんでした。
募金という、誰なのかわからない人からの、誰なのかわからない人への経済の再分配。そこには同情だったり使命感が動機にあって。基本的にはノーリターンなわけですが、全て義勇・偽善で成り立っていると言えます。
未来が見える未来ちゃん。彼女にとって、他者の行動や自分の行動は予測の範囲内であり、舞台中も未来ちゃんはあらゆる行動を予測、先回りしてそつなく助言して立ち回っていました。未来が見えるのであれば、驚くことも意外なこともなく、ホームレスのおじさんが言うようにまさに「つまらない」わけです。
あらすじ通り募金箱に1万円を投入したら、大都会が明るく光って見えた=誰かも知らない人の未来を変えることがてきた、と大喜びします。(あらすじだったのに、描写は本編が1時間経過後本編残り30分の起承転結の転だったのは意外だった。)
それまで、予見した未来の事故を改変できず、それ以来予見した未来であっても、なるべく楽しく生きようとしていた彼女にとって、めちゃくちゃ嬉しいことなのがわかります。
キャッチの人(丹まる子)の居酒屋キャッチの下り、関係ないように見えて、「誰かも知らない」人を助ける募金と「目の前の」人を助けるよう訴えるキャッチの手法と、結局自分のためにやっているという共通点があるんじゃ、という2点で繋がるあたり、募金がテーマの舞台に居酒屋のキャッチは必須だと、個人的にしっくりきました。
劇中の「徳を積む」っていう行為もまさにそうかも。
偽善だとかいろいろ言われますけど、まさしく徳を積む行為ですよね、募金。
目の前の人を助けること
片やもう1人の主人公の20歳の大学生くん(聖矢)は、根っからの人が良いのか明るく募金サークルをしてます。人が良すぎる。浮世離れしてるそのルーツを辿ると、過去に震災で家をなくし、仮設住宅で生活し、ボランティアの人に助けられて育ったとのルーツが。おいおいWUGですか。(Polaris)
彼にとっての人助けはほんとは「目の前の人を助ける」ことであって、「誰かも知らない」人を助ける募金<「目の前の人を助けられる」行動と考えているようでした。
そんな彼を育てた人は、どうやら未来ちゃんのお父さん(立川さん)らしく、マルモのおきてが放送されてた頃コンビニで働いていたが、再婚する相手に連れ子(梨香)が居ると知り、怖くなって逃げ出す口実として、目の前で募金した警察官のヒデさんの行動を目にして、被災地にボランティアへ向かいます。
彼いわく、自分のように親の責任から逃げ出した口実としてボランティアしている人より、誰かも知らない人のために募金できる人の方がよっぽどすごいと。なるほどたしかに。
面白いのが、今回舞台中で回っているお金のうち、後半で募金箱に入ったお金全部イロの付いたお金なんですよね。
- 未来ちゃんが募金箱にいれた1万円、これは立川さんがあげたキャバクラの日当です。別に汚いお金ではありませんが、まぁなんかこうあんまり気持ちのいいお金ではなさそうです。
- 同じくキャバクラの日当をもらったキュウリ嫌いな駄々っ子の1万円。(確かに28にもなってあんな風にふらふらしてたら大人になれって思うかも…)
- 未来の義理の姉の梨香さんが仕送りで立川さんからもらったお金。(この仕送りのお金もキャバクラの運営代と思うとまぁ…)。
- 五十嵐三姉妹の長女、地味子がパパ活で握らされたお金っていう…。
パパ活と推し活について
でもこのお金、特にパパ活って、「目の前の人を助けてる」って言う点で、ただ流行りのテーマだからってだけでなく、募金と相対するテーマになりうると思うんですよね。需要と供給が一致しているうちは、お金が欲しい人が、お金を払ってでも埋めたい寂しさや、異性と話す機会を得ているわけで。どちらもそれで助かっているならそれはいいんじゃないでしょうか。
ただ、そこにはどうしてもお金を渡すということでみえない力関係が存在しているわけで(付き合ってる男女の奢る奢られる問題もそう)、それが男女の力関係で簡単にひっくり返ったりするのであれば、まぁ、危ないですよね。地味な人が痴漢によくあうって言いますし。
何にせよ、誠実な関係でない男性と距離を近づけるのは危ないわけで、男性の自分からしたら、こういう人のせいで男性の肩身が狭くなる一方でムカつきますね。
あとキャッシュレスで募金って言われたら、すっごい壁感じますよね。小銭の流通がなくなったら募金の数も減るのかなって思いました。
いやでも、推しへのスパチャとか、クラウドファンディングとか、これまで「誰かも知らない」人に募金で流れていたお金が、むしろちゃんと「見える目の前の人」に届くシステムが整っているともとれますね。まさしくこの配信の視聴もしかりですが……。似たやうなもんかも知れませんね。
親としての責任/大人になること
本舞台におけるもうひとつのテーマ「大人になること」と「親の責任」、これは表裏一体なように思います。
誰かも知らない人への募金は立派で、自分の娘にあげる仕送りのお金は立派じゃない……っていう固定概念への重要な問いかけ、気づきだなって思います。同じお金なのにね。そこには親の責任をないがしろにしいてることで産まれるヘイトがあるようです。同じお金なのにね…。
劇中では色んな大人/親が描かれていました。
シングルマザー(朝木ちひろ)、過保護な親(家出少女咲ちゃんの母親)、子どもに興味がないらしい親(くるみと双子の五十嵐家の親)、子どもを育てる責任から逃げ続けている親、いつまでも子どもでいたい大人、カフェを経営する人、キャッチする人、パパ活してマルチ商法する大人、街の人と規律を守る警察官の大人、半生に満足し、ホームレスとして生きる大人……。
彼ら彼女が語る「大人になる」って、
親になるってこととか、命を預かるってことなのかなと。
大学生くんたち(20歳)が大人になることを
「りこぴんたっぷりの栄養いっぱいの真っ赤なトマトになること」だと形容していました。
また、28の仲良し組も大人になることについて苦悩していた。どうやら、年齢があがれば自動的に大人になる、というわけではなさそうです。
大人になることってのはただ成人するだけではない。
いやむしろ、大人にはなれないけど、子どもでいられなくなるってことが、大人になるってことなんだと、どこかの誰かが何かで話していた気がする。
個人的には、大人になるとは、「命を預かる」ことだと考えてます。
その命は子どもだったり、ねこだったり、また、仕事を通じて与えられる責任も、周りに回って多くの人の命(=お金、生活)に繋がるから、責任を持つこととも言い換えられると思う。
最低限自分の命(生活、行動)に責任をもって生きることが大人なのかなと。そういう意味で、自分の行動や発言に責任を持てないい人、そういう人は年齢がいくら上がっても、大人にはなれないんでしょう。劇中の哲平くんですね。常に他人に擦り付けて、失敗を認めない人、まじでいるんですよね。自戒。
劇中で「大学生は身分で守られてる」って話してましたが、個人的には、この世で最もカーストの低い労働者層が大学生だと思うんです。だって学歴が高くても低くても、能力が高くても低くても、絶対チクチク言葉言われますからね。マジで。東大でもFランでも、とにかくなんかしら嫌味を言われます。それが大学生という身分なんです。私は早く社会人になりたくて仕方なかったです。
また、学校で教わったことが直接は役に立たない、なんて話もありましたが、大事なのは目の前の課題にどう向き合うかの手法を身につけることで、学校、部活、趣味に真剣に向き合えない人が、そこに地続きの就活や仕事とか、人生に真剣に向き合えないんだろうなって思います。
これは先日読んだ「埋もれない声優になる」(著:長崎行男)でも描かれていたことですが、声優を育てることは、「その人の人格を育てることそのもの」だそうで、まさしくその通りだなと思いました。
(ここからクソ自分語り)
今の自分は社会人4年目で、未だに大人になれた気はしません。大人になるってのは、経済的に自立することうんぬんもそうですが、今の自分は、誰かの親になりたくなくて、必死に今を生きて未来を見ないようにしてる。 状態です。
目の前の明日だけをみて、目の前の人(推し)を助けることで生きてます。その先の未来は見えてないです。これまでも高校や大学、社会人とそれなりに好意をもった人とそれなりに付き合ったりして楽しく過ごしていた日々もありましたが、これから付き合う人とは結婚とか価値観の擦り合わせとか、ライフステージの決断だとかを考えないといけないわけで、そう思うとほんとにしんどくなります。自分のこと大好きで、自分以外の人のことを大切に思えるとは思えないんですよね……。とか生きてることに深い意味を考え始めたら病むんで、
特に死ぬ理由がないから生きてるってだけで、今日も気軽に生きています。お金も時間も大学生までと比べて今がいちばんあるんですよね、当たり前ですけど。そしてこのまま進めば、少なくとも、所得もあがるわけで、今から貯金しても仕方ないなって思って、今しかできない好きなことにお金をかけて幸福度を高めることを第一に生きてます。大事なことは、自分も少なくとも誰かに日々迷惑をかけていて、自分も誰かに陰口を叩かれているってことを自覚して、向き合うったり向き合わなかったりして生きていくってことだと思うわけです。
未来が見えているとどうなるか(考察)
未来が見えているという設定が大好きなので、思考が捗りました。主人公未来(みく)ちゃんは未来(みらい)が見えてるから、予定外・予想外のことがない。誰かが遅れてくるのも知ってたし、突然誰かに話しかけたり、突然仕事を辞めたりしても、未来で特にこれといったリスクがないことを知ってるから辞められると言います。
これちょっと疑問なんですけど、自分がその仕事を辞める未来が決まってるからそれに従ってただけじゃないんだ?と思いました。
未来が見えてる系の小説、物語だと、未来は固定されている、つまり自分の選択の意思はなく、自分はただ見えている未来の通りに行動するだけ、って解釈でした。
私が大好きな児童小説「フューチャー・ウォーカー」(ドラゴン・ラージャの続編)では、未来が見える巫女、ミ・V・グラシエルが登場します。
その中では、未来が見えるということは、ただ約束された台本のとおり生きるということであるとありました。
また、盲目の中で崖に向かう赤子がいても、その未来を変えることはできない、未来は固定されているから、それを告げても未来を変えられない、未来が見えるとは、そういうことだと描写されていました。
今回の舞台の感じだと、たとえばその見えている未来がいくつかに分岐していて、分岐した先の未来はある程度見えるけど、自分の行動によってどう変わるかまでは分からない、そん感じなのかなと。Re:ゼロの死に戻りみたいな。
自分の解釈のイメージとしては、未来が見える=「これから他人が何をして、何が起こるかわかる」ってとこまでで、自分がどうしたらどうなるかまでは見えている感じではなさそう、です。
他人の未来を予測することで、自分が選択しても自分にリスクがないことが予測できるから、ある程度自由気ままに振る舞えるのかなとも思いました。
- 例えば、ゆいまいちゃんにそろそろ帰るように促した未来ちゃんにはかなみちゃんが号泣しながら帰ってくるのが分かってたわけで、その時ゆいまいちゃんが帰らない未来も見えてたのかどうか。
- それとも自分がひと言声をかけることで、ゆいまいちゃんが帰るという固定された未来のとおりに演じただけなのか。
自分の考察では、未来ちゃにみえてる未来は漠然とした他人の行動(お告げ)で、そこに自分がどう干渉したらどう未来が変わるか、はある程度不明瞭なわけで、このくらい動いても未来は変わらないだろう、と思ったら、その未来を促すように声をかけたりする感じなのかなと。
この時、ゆいまいに帰るように促さなかった場合、かなみちゃんが帰ってきて号泣したらゆいまいも巻き込まれることがわかってたわけで、もしかしたら未来ちゃんはこの時、ほんの少し手を添えて、未来を変えてたのかもしれない……?
そういう演出はなかったけど、そうかもしれない。
- テキーラもあらかじめ買ってきてる
「テキーラ飲みたいって言い出すだろうからテキーラ買ってくか〜」ってこと?笑いました。テキーラを買い出しに行く予定だった未来もしれっと変えたってことかも。
てか、みくちゃんほんとに全部未来見えてるので、驚いたりびっくりしたりする演技は全然してないんですよね。ずっとにこにこ笑ってる。姉妹は未来が見えてること知ってるからそれが当たり前なんでしょうね。
双子ちゃん
我らがRun Girls, Run!の食いしん坊の歌姫の末っ子センター林鼓子(19)が演じる五十嵐ゆい、これを観たくて配信を観たんですよね。
蓋を開ければ、物語の本筋に直接絡む役ではなかったものの、アニメ・ドラマ、ひいては現実世界における「双子」問題を総括したようなキャラクターでした。
地区の小中学校までは双子の人ってよくいました。
ただ、高校以上となると、学力や進路などで双子が双子として一緒にいる図はほとんどなく、そういった意味で、双子という性質は小中学生、よくて高校生までの性質なんですよね。本人や家族ににとっては一生続く血の繋がりかもしれませんが、少なくとも大学・社会に出てから2人のことを双子だと比較する人ってあんまりいない気がします。
だからこそ、双子で売ってる人ってタレントやお笑い芸人、声優さんくらい(松田姉妹しかいない?笑)気がします。双子のイメージも、そういうマスメディアの固定イメージやアニメで強調される双子キャラクターに強く引っ張られている気がします。
それこそはやまるが好きなかげきしょうじょ!!で描かれた沢田姉妹(演:松田姉妹)も双子の確執そのものを体現するキャラクターですし、松田姉妹はキラッとプリチャンでナルシスターも演じていたり、かげきしょうじょ!!自体はやまるが原作のこと大好きで、アニメを手がけたのがプリティーシリーズの親である長崎音響監督なためか、佐々木李子さんや大地葉さんもレギュラーで出演していて、出演していないながら、林鼓子ちゃんと切っても切り離せない関係です。(原作の話はすごいしてたけどアニメの話には触れないから、多分オーディションは参加してた…とかじゃないかな…と邪推しています)
多分社会に双子ってもっと居るんですけど、それぞれ別に生活してるから、双子としてではなく1人の人間として接してるだけだと思うんですよね。これほんと双子の当事者が観たらどう思うのでしょうか。
「三者三葉で全然タイプも違くて類は友を呼ばなかった3人、そういうのがちょうどバランスが取れてよかったりする」
これ、Run Girls, Run!なんですよね。(強調)
そう思うと、本編に絡まない双子ちゃんがなぜこの舞台に設定されたのか、その理由も自ずと理解出来ます。
三者三葉、違うタイプの組み合わせがちょうどバランスがいいって話と、双子ちゃんという同質の存在が「双子やってあげてる」問題の対比、双子という正負の特質を舞台で描くのは必然だったんですね。
ただ、「双子してあげるよ」の話が、舞台内で本人たちの悩みが解決がされないまま終わったので、もやもやしました。
きっと別々の道を歩んで、互いを最も近い他人として認め合うことと思います。宝石の国のアメジストみたいな感じですね。
「○○なのにエラいね」の呪い
この言葉、舞台でさらっと流されていましたが、他人からかけられる「エラいね」「スゴいね」がもたらす呪いも、ひとつのテーマなのかと思いました。
「エラいね〜って言われても偉いと思ってはいけない」
この精神難しいですよね。
これすごく言われるんですよね。エラいねって。これね、エラいねって、「自分の方があなたより上の地位にいるよ」ってことを柔和に伝えてるんですよね。わかります?
つまり、同い年の男女で、「奢るよ」と言った時に奢る人(男性)からしたら、奢られる側(女性)は経済的に所得が低いだろうから、自分がお金を出すことで相手より地位が高いことを可視化させる、ってことなんですよ。これ、自覚していようと無自覚であろうと、ほんとにそういう事なんです。
これがね、ほんとに年齢も仕事上の関係も立場が上で、リスペクトもしていて、もちろんその人の報酬が自分より多くて、そんな人とご飯いって、相手が好意を持って、ご飯を奢ってくれる、それはよく分かります。(これも男女だとまたややこしいのだが)最近は男女でも奢ったりしないみたいな話ありますけど、女性の社会進出を阻害する要因として、そういう、女性側が足を引っ張っていることってあると思うんですよね。
話が逸れましたがつまり、「エラいね」って、年齢なり立場が上の人が下の人に伝える言葉なんです。「若いね」も同じです。相対的な評価でしかなくて、その人自身を褒める形容詞じゃないんですよ。だから「若いね」って言う方は自分と比較して、年齢が若いことを純粋に褒めてるだけかも知れないですけど、当人にとっては自分が生きてきた時間がまだ未熟で浅くて足りないことを言われてるだけなんですよね。
だから、「若いのにエラいね」はいちばんダメなんですよ。
これは自分も少しずつ年齢が上がってきたのでほんとに言わないように気をつけてる言葉です、ただどうしてもスっと出てしまうので、だから言う方も言われる方にとっても、まさしく呪いなんです。なんとかこの呪いから逃れる別の言葉を考えてます。例えば、相手の生来の性質や容姿に言及するのでは無く、相手の行為について「○○しててエラいよ〜!」と言う言葉ならどうでしょう。林鼓子ちゃんが自身のshowroom配信「ココ・シャベル」や「らんがちゃんねる」というYouTubeとニコニコ生放送にてコーナーを設けている、Run Girls, Run!界隈でミーム化した言葉です。相手も自分の行いや努力を見てもらえてたりして嬉しいだろうし、この言葉をたくさん使っていきたいな、って思ってます。
その他小噺
- あ、なんで今「マルモのおきて」見てんだろ、って思ったけど、今は放送時の時系列だよ、過去の話だよってことか
- 時系列の転換を敢えて初見に分かりづらくさせてたイメージ。というか、28の人が28らしい振る舞いをしてない(20の妹たちとテキーラ一気飲みしたり、定職についてなかったり)、28の人が20だってサバ読みしてパパ活してたり、あえて分かりづらくしてるって感じ。
- 「黒板を爪で鳴らす嫌な音」そのものよりも、黒板に爪を立てた時の爪が剥がれそうな感じがめちゃくちゃ嫌なんだけど、わかる人いる???プールとかの排水溝とかに足を置いたらうっかり爪がひっかかって爪が剥がれそうな恐怖みたいなやつ…………
- 大学の仲良し3人組だけど、幼なじみ2人ともう1人の距離感、ミラクルキラッツなんだよな
- 時計買おうと思ってたのか刀剣買うって聞こえた
- 自分の手が届くなら、伸ばしたい主人公、火野映司みたい
- なんでこの子キャッチの仕組みは分かるのに情報商材とマルチにひっかかるんだろう……笑
- 「いや別れてるから言うことじゃないかもしれないけどさ〜」って元カレ言いがち
- 推し、きっと共演者の方みんなと写真撮ったり仲良くなったろうに、TLでのアレルギー反応を予想してか、異性との写真は載せないの、なんかごめんねという感じ
おわりに:この舞台に出会えた人って
とまぁ、推し目当てで観た、普段のアニメや2.5次元とは全く関係のないオリジナルの舞台でしたが、今の自分にめちゃくちゃ残りました。こんなに自分の「現在」を語るための物語があったなんて。ただ、果たして、このテーマを求めて、この舞台に出会える人が、何人いるのか。
例えばこの舞台は20代の大学生とか、30代手前の社会人だとか…当人が観たならば、きっと刺さるテーマがあって、自分に重ねると思います。ただ、果たしてそのテーマを求めてこの舞台に出会える人が何人いるのか……。はっきり言って、この舞台に出会えるのって、演者のファンだけではないか、そう思うんですけど、どうなんでしょう。
こんな素敵な舞台で、こんな素敵な物語でしたが、それは見てもらったからこそ伝わるわけで、見てもらうためには見てもらうためのキャスティングが必要なわけで、それってすっごく難しい話だと思うんです。
いわゆる推しが出るから観るわけで。チケットを買った時も、中身は二の次なわけで。それって募金とどう違うんだうって。募金とかいう活動、偽善って思って敬遠してたけど、推しにお金投げて、それがどこにどのくらいどう流れてるかもよくわかんないで満足してる自分もまぁまぁ同じだし、同じならどっちもいいんのかもって思えてきた。
自分も、自分もこの配信を観ることで、自分の未来が変わったかもしれない。そしてこの配信を観たことで、演者や…スタッフ、劇団の未来をほんの少しでも変えたかもしれない。
🟡Uzume第7回公演🟡
「#誰かも知らない。」
【配信アーカイブ🎥】
スマホ、パソコンで4月29日(金)迄、
何度でも見放題!🉐
驚く程綺麗な映像と、多彩なカット。
4台のカメラで収録された映像で、
役者の細かい表情までご覧頂けます👀
📺配信(ライブポケット)
👇販売ページhttps://t.co/2l7HWw6vNg
4/29日(金)まで観れるとのことなんでぜひ。
5月に控えてる厚木さんの舞台も楽しみです。
このブログを読んだ人、Run Girls, Run!のファンの方が多いかもですが、もしRun Girls, Run!に興味持ってくださったら、ぜひミニアルバム聴いたり、配信観たり、ライブ来たり、してね!!!
おわり