朝からポテチの【追いつきたいんだ】@nchas3821

ランナー1年生のRun Girls, Run!応援の活動備忘録です

舞台を観る意味とはなにか。森嶋優花出演 #音楽朗読劇パレード 配信で見た感想。@nchas3821

配信決定の報

 

現地オタクの感想・考察

朗読劇そのものの内容や感想・考察などは信頼のおける現地オタクがまとめてますので、ご紹介させていただきます。

あらすじ(

ゆっくりとピアノの単音が時を刻んでいる。
その音はこれから始まる慌しくも華やかなパレードの足音のよう。

女は言う。
「貴方は彼にとって一番物語の進行を悩ます種そのもの。だから明 日彼が目覚めて、物語を書き始めた時、真っ先にデリートされると 言う意味なんだよ」

作家はまだ知らない。
物語の中のキャクターが脳内に侵入したことを。

男は言う。
「やってやるよ。この世界にでっけぇ穴開けて、創造主様にご挨拶 だ。血管がはち切れるまで、盛大に足掻いてやるよ」

そう、ここは、そういう世界だ。

勘のいい方はわかる通り、この朗読劇の物語は、物語を書く作家1名、その作家が生み出す物語の中に登場するキャラクターの男女2人(それと作家側の世界に干渉・俯瞰できる女性の人格1名)が絡み合い、作家が産んだ世界の外へキャラクターが干渉しようとする、メタフィクションをテーマに描かれているお話です。

 

こういう作品、私は結構好きで…それこそ2022年にハマった作品と言えばと聞かれたらまず答えるのは『Tick, tick... BOOM! : チック、チック…ブーン!』(2021)というミュージカル作品です。

実在しミュージカル作曲家ジョナサン・ラーソンを描いた伝記ミュージカル映画でして、ジョナサン・ローランが実際に描き伝説的な記録を生み出したブロードウェイ作品『RENT』そのものともオマージュしていて、ふたつ合わせて3つの世界を楽しめる良作品です。アンドリュー・ガーフィールドが演じる30歳の誕生日目前の売れないミュージカル作家の焦燥感は、誰の心にも刺さると思います。劇中の歌も生前のジョナサン・ローラン自身が歌っているVerもあり(まさに映画と同じ様なシーン)、ほんとにおすすめです。私はあまりにも良すぎて5月に行われた日本でのミュージカル

『RENT』を見に行ってしまいました。

30/90 (from

30/90 (from "tick, tick... BOOM!" Soundtrack from the Netflix Film)

閑話休題。とにかくこういうメタな作品、特に作者自身から生まれる葛藤が載っかるような作品はストレートに伝わります。演者の方も、役者が役者を演じるとなると、思うところはきっとあるはずで、没入感を削がない形で、むしろ上乗せされて伝わるものがあるもので、物語を何重にも感じられてとても好きなんです。

 

観てるときのメモ

ノローグ。生まれ持った生き上手さと顔の良さで人生をそれなりに歩んできたが、ふとした魔が差して芸能界に足を踏み入れた男。そんな男と出会い、幸せではないけど、今の生活充たされてはいる女。

タクシーでカレの家に向かってる時が一番虚しい、犬じゃん、東京はお金がかかる、それを推しの森嶋優花さんの口から聞くと、まるで普段見せない素のままの姿を役に昇華してるように見てつい錯覚してしまうな〜って思います。全部オタクくんの妄想です。ここまでのとこで森嶋のオタクはだいぶダメージを受けていたことでしょう。んんお察ししますぅ〜。

  • 落雷、暗転による場面転換。
  • 突然敬語で男に話しかける女。性格が変わっているというか、別次元の人格が乗り移った様子。
  • 別の上位存在というか、森嶋優花さんが演じてるガールズバーの女性に森嶋優花さんが憑依したような…笑
  • 私たちのお父さん、つまり、この世界が書き手の物語の中の世界だと言うこと。男は書き手にとって要らないキャラクターであることが語られる。
  • そして男2、物語の書き手の役。書くことを止められない、自分だけの世界を創造できる喜び。書き手の苦悩、世界の創造と冒険を歌う。
  • 落雷、暗転。
  • メタ構造のいちばん下の、物語内の物語である、この世界にでっけぇ風穴を開ける歌。歌ほんといいな。夢に訴える、ネコ型ロボットのモノマネ(アドリブ)。アドリブはアドリブだとわかる雰囲気(笑っていい雰囲気みたいなやつ)、大事。お客さんの笑い声がよく聞こえる。むしろそう出ない時には毅然と鑑賞しているわけで、舞台を観る側の振る舞いもあって始めて舞台が完成するんだなと感じた。
  • 「血管がはち切れる音〜〜〜〜〜〜〜!」(リバーブ)(水素の音ミーム、もう懐かしい)
  • 死期が近づく書き手、キャラとの対話、書き手の死後、物語の中のキャラたちはどうなるか。
  • 「自分の人生を謳歌しよう。人生を、の歌。」
  • 「何に溺れて、何に焦っているんだろう。」
  • 序盤に登場した物語中のヒス女さん、ガールズバーでもう働きたくない、追い詰められている。
  • 物語の中のキャラが物語を描いて、自分の妄想を昇華してなんとか生き繋いでる。追い詰められて、ふと気がつくと線路の上に倒されて…。
  • 死にたくない。

…というお話。

 

考察とか

考察……ってほどでも無いけど、この物語が描きたかったもの、つまり、書き手の世界で産まれて、書き手の感情や思い(好きだった女やなりたい自分)などを背負った設定のキャラクターが自我もをもって世界の外に行こうともがく世界で、最後には“死”の暗喩が描かれてるわけなんですけど、死ぬって、物語における完結そのもので、キャラクターが死ぬってことは、そのキャラクターが生きていたことそのものなんですよね。終わりには必ず意味が添えられて、少なくとも描写された物語には終わりと共に意味が付与されてしまうわけで、死ぬことで生きた意味だとか理由も勝たられるので、この世界が終わる前に、この女というキャラクターは無事完結したわけです……。

女が自分で妄想を書き留めてるって話し始めたあたりで、この女も物語描いてるの!?ってことは今の話、書き手が女を書いてたんじゃなくて、女が自分のことを書く物語に書き手がいて…ってしてたってこと???と感じたあたり、他のオタクもそんな感想を持ってたみたい……。書き手である女が、自分が書いた、物語の中のキャラクターたちが物語の中の物語を飛び出す話のそのまんまに、まさか自分の世界に飛び出してきて、自分の人生が完結してしまうなんて思わなかっただろうけど……。

この朗読劇って誰に何を伝えたかったのか

ここまでが作品の感想。ここからは作品の外の感想。この朗読劇が描いた物語の構造はなんとなく理解した。次に思うのは、じゃあこの物語ってなんのために生まれたのかっていうこと。

観に来る人は誰か

この朗読劇を見に来る人達って誰なんだろう。と考えた時、そもそも自分がこの朗読劇を観たのは、存在を知ったのは、推しである森嶋優花さんが出演するから、に他ならなかった。でなければ無数に生まれては消えていく舞台の物語を観測することはなかっただろう。

推しが出てなかったら観なかったろう世界、関わらなかったであろうわけで、それまで自分と関係なかったわけだけど、推しを通して初めて存在を認識したわけで。舞台とか作品とか、推しのきっかけありきで観るわけだから、ぶっちゃけ作品の内容なんて二の次なのかもしれない。

内容が良かったら加点、良くなくても推しがいるから満点、くらい。それでいうと満点だった。

役者を演じる役者とか、現代に忙殺されてる若者の感じとか、すごく反映されてて、最後も青味も悪くて好みだった。考察のしがいもあった。

ただ、何か感動するとか、心が揺れるとか、明日以降もこの作品が心に残るかというと…?みたいな…。誰のために作った作品だったのか、誰に届けたくて作ったのかを考えた。自分じゃない人に刺さるんじゃないかと。

これは、現地に行くほどの熱量を持って、それだけのお金と時間をかけて、その場で浴びないと伝わらないものなのかもしれないと思った。じゃあ誰が現地に行くのはどんな人なんだろう?

応援している人が出演するからではないのか?

どんな作品かは二の次なのだとしたら、その物語が刺さるかどうかは二の次なのか?

きっとこういう物語を欲してる人がもっといるはずなのに、その人たちには届かないのか。

なんで合わなかったのか

合わなかったところは何が意図されてたのか、誰に向けて作ってるのか。

そう考えた時、やっぱり朗読劇ってその役者が好きで見に行くから、作品の中身よりも、役者ありきのためのパーツというふうに感じた。本来は逆であるはずなんだけど。

届けたい作品(小説や物語)があって、それをより多くの人に届けるために表現のプロである演者がいて。

それが、オリジナルの朗読劇というものは、役者のための作品というか、「自分たちの作品」というふうに感じた。作品自体が消耗品というか。それこそ自分みたいな人間が書き散らしたブログの延長戦にある感じがした。商業的な企画と言うよりは、あくまでひとりの演劇に関わる人の気持ちを見に行った感じ。たまたま推しがいるから見ただけだけど。

とここで、その真意に触れた。

初脚本作品、それで合点がいった。役者を演じる役者、物語を書くキャラを書く脚本、

今まで舞台に携わってきた思いが込もっていたんだ。

おわりに:届けたかった気持ち

つまりこの物語を届けたい相手は、役者そのもの、演劇に携わり、または演劇を愛する人たちそのもの。だと思った。私が感じたような、舞台作品の消耗、演者の存在、演者の応援が舞台観劇のモチベーション、最も強い引き合いの要素となっており、その作品がどうだったかどうかより、その演者がどうだったかが最も注目される今の舞台界隈に伝えたいものがあったのではないか。演じるキャラクターの人生よりも、誰が演じているかが重要視される始末。かくいう私もそうでないとこの朗読劇にたどり着けなかった訳で、そのフレーム構造から抜け出せない訳だが……。

少なくとも描きたいもの(だと勝手に解釈した内容)は私という一人のオタクに届いたわけで、それはきっと幸福なんだと思う、お互いにとって。配信してくれてよかった。現地に行くほどの人間にはなれなかったので。

とにかく作品の感想はまぁ置いといて、せっかく触れた朗読劇というモノについて考える機会ができてよかった。それもこれも推しのおかげである。推し活はいいぞ。