朝からポテチの【追いつきたいんだ】

ランナー1年生のRun Girls, Run!応援の活動備忘録です

映画『若草物語』感想。結婚の幸せと独り身の自由。幸せになりたい。ティモシーの顔が良い。

24歳、実家暮らし、女性声優オタク。ぼっち。結婚てなんだろう。朝からポテチです。

若草物語っていう有名なお話の映画を観て、ぐしゃぐじゃに泣きました。

 

きっかけ

はやまるがティモシーを語ってたんですよね。若草物語は予告か何かで目には入ってて、いつか見たいと思ってた作品。そこにティモシー・シャラメという知らない世界の話があり興味が湧いて。インターステラーにもでてたって言うし、観るかと。

あらすじ

ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語 (吹替版)

南北戦争時代に力強く生きるマーチ家の4姉妹が織りなす物語を、作家志望の次女ジョーを主人公にみずみずしいタッチで描く。しっかり者の長女メグ、活発で信念を曲げない次女ジョー、内気で繊細な三女ベス、人懐っこく頑固な末っ子エイミー。女性が表現者として成功することが難しい時代に、ジョーは作家になる夢を一途に追い続けていた。性別によって決められてしまう人生を乗り越えようと、思いを寄せる隣家の青年ローリーからのプロポーズにも応じず、自分が信じる道を突き進むジョーだったが……。
https://eiga.com/movie/92285/

この映画、過去回想のフラッシュバックが何度も繰り返されるから、初見だとちょーっとわからない説ある。2周目だと、過去の回想と現在で温と冷、のような、寒暖差がフィルターかかってるのがよくわかる。

原作を調べてみると、主に4巻4部で構成されているらしい。この映画はそのうち1部(過去回想)と2部(現在)を再構成したものになっていたらしい、なるほど。とはいえ、もうあまりにも著名すぎる作品らしく、アニメやドラマ、舞台が何度も製作されているという。そのため再構成されたものも皆既存の作品や原作との比較など、背景知識を持ったまま観れるので多少の時系列の移動はなんといいことはないのだと、自分の無知さを知る。

前提情報

南北戦争時代のアメリカ、コンコードの町。コンコードは「文学ゆかりの土地」、「独立戦争ゆかりの土地」、「郊外の静かな高級住宅街」の3つのテーマを気軽に楽しむことができます。

まずアメリカ文学ゆかりの地として「若草物語」の四姉妹が住んでいた、オーチャード・ハウスを訪問するとよいでしょう。ブロンソンオルコット(ルイザの父親)の幼児教育論や哲学、家族愛についてを学ぶことができ、ルイザメイオルコットが若草物語を書いた机なども館内ツアーで見学することができます。

へぇ…

https://avexnet.jp/column/detail.php?id=1000456

https://www.tour.ne.jp/w_review/BOS/sightseeing/spot/1322105/

原作小説は著作:ルイザ・メイ・オルコット

様々な形で翻訳されている超有名小説。同名の映画は4本目。時代と共にリメイクが続けられている。へぇ。(無知)

四姉妹が抱えるテーマ

長女メグ:貧困とみじめさ、結婚というほんの小さな幸せと続く貧しさ

4人で生活してた時のわちゃわちゃした幸せさ。この四姉妹、貧しい貧しい、って愚痴るけど、この頃の時代の中での絶対的貧困を描いてるわけではなく、あくまで中流階級相対的貧困…であることがわかる。

クリスマスの日、マーチママが貧困家庭の家へ朝食を持っていくよう提案した描写は、マーチ一家は自分たちが貧しいだの使用人が欲しいだの言うけど、実際は食事に困ってるほどではない中流階級であって、この時代で文化的に自立しようとする姉妹には経済的余裕があることが前提であることに、本人たちが触れてないことだと思う。

(どうやら原作によると、マーチ家はかつてもっと裕福な上流家庭だったものの、破産した、とのことらしい。マーチママが他者への奉仕を常に心がけているのもマーチパパが牧師である=キリスト教プロテスタント(ピューリタン)であり、慈善活動を常に行っている理由だと言う。なるほど。)

そんな中で自分たちの貧しさ、みずぼらしさを一際気にしてるのは長女のメグ回想で末っ子のエミリーにお小遣いを渡し、“みんな”が持ってるなかで自分だけ持ってないのはみじめ、だと。みんなってのは学校や社交パーティーのことで…そこでの…格差が、相対的な貧困…みじめさを浮き彫りにするのだと思う。(原作によれば、メグが幼い頃は上流階級家庭であったことからも、彼女だけはそういった世界への憧れや虚栄心が強い、という……)

やっぱりだか、メグは上流階級の社会(パーティー)に何度か出るけど、その度に自分の居場所との居心地の悪さを感じる。そこで付けられたあだ名、デイジーという役を演じているに過ぎないんだと言い聞かせる。自分には過ぎた世界だったと。「今日限りで一生堅実に生きる」と言い、華やかな世界への憧れに蓋をする長女。

そして現在では、「貧乏はもう嫌だら今の暮らしに満足しようとしても大変だ」とり

慎ましく生きるも、たくさんのことを諦めてきたメグ。

結婚することがほんとうに幸せかどうか、その結果を提示した後に、後半、メグの結婚を描写する。結婚式の華やかな描写をする前に、この結果を提示するのか…。「自らを他者に委ね、犠牲や見返りを求めず、ただ愛することは尊いこと」だと誓う。

「小さな家での貧乏生活を後悔する日が来る」と言う的中する予言に対し、「大きな家に住んでも不幸な人はいる」と返すメグ。どちらも間違ってない。どちらも正しい。幸せってなんだろう。

結婚が幸せか、ハッピーエンドか当人とって幸せか、、、他者からみてそれが幸せにみえるか…

この物語がずっと語り継がれていく理由がわかった。

次女のジョー:「結婚したら不幸になる」

結婚することの幸せ、結婚しないことの自由…。幸せな結婚をしても貧しさに悩むメグ…

結婚したら不幸になるといい、ローリー(ティモシー・シャラメ)を拒んだジョー

女には心の他に、知性も、魂もあるそれに美しさだけじゃなく、野心や才能もあるだから誰かが女は愛されるのが一番の幸せだなんて聞くとムカムカするなのに、とっても淋しいの

「愛しているのか、と聞かれて、愛するよりも愛されたい、と答えた時、それは愛してるとは言わない」

ここ、ぐしゃぐしゃに泣いてしまった。耐えきれなかった。

女性が女性性のしがらみに耐えきれず悩み続けているように、男性も、同じ数だけ、男性性に悩んでいるんだよ。この世に下り坂と上り坂が同じ数だけあるのと同じなんだよ(?)

四女:エイミー、姉の下位互換、三角関係

最も常識(ステレオタイプ)を備えてるエイミーだけは、回想では結末が提示されていないんですよね。映画の中の時系列で問題が積んでいって、現在の時系列で結果が提示されてる。普通にネタバレなんですけど、ジョーはずっとローリーを拒んだあと、最後に自分の想いに気づいて、ジョーが「私は若くて愚かだった」と綴って、あの頃のポストにローリーへのラブレターを書いてたけど、もうそんな“お手紙”を送ってる時点で子どもってことなんですよね…。同じ時、ローリーはフレッドから離れたエイミーにキスをしてるんだから……一人だけこどもだったんだ…。多分ジョーがローリーのこと好きだったのも本心だし、それを、女は愛されてることが幸せだってステレオタイプが許せなくてその気持ちに向き合わなかったのも本心だった。ジョーはずっと、ローリーが自分のものだって過信してたんじゃないかな…。ジョー、辛い、幸せになれないんだろうか、こんなことってあるんだろうか自分の心に蓋をして……辛い、つらすぎる。

片や、自身の才能で生きていくことに限界を感じたエイミーは、当初(現在の最初)は、お金持ちのフレットと結ばれることを望む。お金持ちとの結婚は女の子の憧れ愛する人は自分で決める、どうとでもできる、と。結婚は愛や気持ちではなく経済的な問題、だと。そして、ジョーに振られたからとローリーを選ぶのはごめんだと。全部姉のお下がりだった、というエイミー。ジョーは末っ子のエイミーがいつも自由でわがままなことを疎ましく思っていた描写もあったが、末っ子からすれば、自身の才能を信じて人生を切り拓いていく姉の方が羨ましくもあったのだろう。映画冒頭、ローリーがふらふらしてる中で、エイミーから「男らしく」って言葉が出るのも唐突だったが、、ローリーとジョー(たち四姉妹)の出会いを描いた直後にその後の結末(ローリーはジョーに振られた)を描いてるの、よく考えたらエグい…。あのさ、ローリーのさ……これからも友達でいられるよね?ってあたりが男って感じだな〜その後も元カレヅラするしさ………笑

ローリー(ティモシー・シャラメの顔が良い)

  • ローリー役のティモシーシャラメの良さ!!!
  • ちょっとした戯れの中でぺしぺし遊んでたら、ジョーにさらっと指輪をもらうわけよ。(過去回想)
  • それを振られてヤケになった後でも現在でもめっちゃ大切そうにずっとつけてるローリー…推せる……
  • 付き合っていない男女(10代からの幼なじみ)、思い切りお互いをはたきあう関係、いい…
  • 未成年のジョーがローリーの背中でこっそりお酒飲んでるの、微笑ましさ……
  • ローリー、初めて会った時から今まで、ずっとずっと清い交際…
  • ふざけあって遊ぶ仲良しの幼なじみでいたのか……ほんとに、ほんとに…健気すぎる……
  • ジョーに振られるところで、諦めかけた時「けど」に「けど???」ってめっちゃ食いつくとこ、すきの感情
  • 元彼ヅラしてるローリー、ここな!!!フレデリックが家に来て、自己紹介するまで、「ぼくはローリーあんた誰???」って3回聞くヤツ……www

三女:ベス亡き後の展開、過去回想から劇中作劇への転換

最終章、ベスが亡くなり、無力感と寂しさを抱えたジョーがローリーに振られてから、過去回想と劇中劇の入り交じりで混乱してめっちゃおもしろかった。この映画そのものが「若草物語ができるまで」の話っていう入り組んだ構造になってた、そういうのめっちゃすき。

自伝の劇中劇がまるでフィクションみたいに同時並行していく、過去回想なのか劇中劇なのかがあいまいで、すっごく楽しい。全然違う角度から気になって入ったから、すごく良かった。。。一見ありきたりなテーマにも、不意に今の自分に思うところが刺さって感動した。

この物語自体がこの物語が産まれる話

確かにこの物語は他と違って敵もいなければ事件も、悪役もいない。つまらない話。

しかし、書かれることで、意義が生まれる。

と劇中で言われていて、確かに初見では他の映画と比べて、なんだかドラマっぽいかも?とか思ってたので、まさにその通りで納得。

物語らしい事件といえば2つで、ひとつは回想中に末っ子のエイミーがジョー(次女。主人公)の原稿を燃やしたことと、ローリーとジョー、エイミーの結婚と幸せを巡る価値観の揺れ動き。もうひとつは病弱な三女のベスに起こる不幸と、それによるジョーの哀しみ…とかで。この映画、映画っていうかドラマに近い、かも(というかもうドラマにもなってました)(無知)映画にしては素朴で、あまりドラマティックではないね…と思ってたけど、この物語そのものがこの物語を描くまでの自叙伝になっているため、ラストで確かにこの物語は他と違って敵もいなければ事件も、悪役もいない、つまらない話だが、書かれることで、意義が生まれる。と作品内で語られていることで、納得した。

この物語自体がこの物語が産まれる話そのものであり、この物語が小説となり、映画となり語り継がれていることこそ、この物語に価値があることを証明している…(?)(日本語難しい)

最後の編集シーンの考察

結局ジョーもフレデリックと結婚してるの、その方がハッピーエンドで売れる!ってい作者のルイザ・メイ・オルコットと出版社とのやりとりがあったとかなら笑える。

ジョーがベス亡き後の展開、このへんから過去回想がなくなって、劇中作の描写と現実が交互に繰り返される原作小説の中でも、ジョーが小説書いて、売りに行ってて、出版社とのやり取りでラストの中身を変えました、って描写なのかな…?

おまけ:ジョーとフレデリックのすれ違い

ジョーの短編を批評したフレデリックに対して、「けなした!」と言って怒るジョー……

これはジョーの中にも潜在的ジェンダーというか、性差的劣等感があることを描いてると思うのだけど、どうだろう。ジョーは多分、褒めて欲しかった、んだよね。フレデリックに悪意はなく、きちんと批評してより良いものを書けるよう伝えたかっただけ…なんだけど。

潜在的な劣等感と、潜在的な優越感のすれ違いだと思う。これ、フレデリック本人に女性へのマウント意識はないんですよね、だからこそ厄介。シェイクスピアの本を勧めるようなおせっかい、そのマウント感を出してる片やジョーの方にも、意識してない劣等感から、自身の作品にきちんと向き合ってくれる人に向き合えなかったという負い目はある、と感じた。

これは身近な話だと、誰かに飲みやサシで相談したりされたりするとき相手が共感を求めて話そうとしてるのか(女性性的・家庭的会話)悩みの解決方法を模索して話してるのか(男性的・社会的会話)のすれ違いかなって…あらかじめ相談の時に双方口に出して擦り合わせるのがベストだよね。

生きた証、ジョー・マーチの名を残す、って言いつつ匿名なのも皮肉が効いている。

 

おわりに

現代までなおアップデートしきれていないジェンダー的価値観、結婚という盲目的な幸せへの問い、この作品は常に時代を超えて私たちに問いかけてくる。不朽の名作ってこういうことなんですね。

作中で独身で金持ちのマーチおば様、自分の生い立ちと矛盾した発言、行動ばかりなのは、いったいどうしてだろうそしてこの人はどう自立して、お金を稼いだんだろう…エイミーが女性として“まとも”に結婚することを強く望ん出た叔母様が、フレックのプロポーズを(なぜか)蹴ってしまったエイミーの報告に(多分)動揺しつつも攻めたり何も言わなかったの、思慮深さが感じられてすきですね。矛盾しているからこそ……。一貫した人間なんていない、みんな矛盾してる。原作読むか。

あと映像のトリックとして、エイミーと叔母様の過去の描写から一瞬で現在に変わるとこ結構初見殺しでおもしろかったです。

 

 

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